陸上競技部

DATE:2023.09.10陸上競技部

駒大から世界へ ユニバインタビュー

FISUワールドユニバーシティゲームズが7月28日から8月8日にかけ、中国・成都にて行われた。駒大からは5000mで安原太陽(地4)、ハーフマラソンで篠原倖太朗(地3)が代表として選出され、出場。初の日本代表を経験した2人に話を聞いた。

男子5000m 結果
予選 1組 5位 安原太陽 14:42.91
決勝 2位 安原太陽 14:14.15
男子ハーフマラソン 結果
決勝 6位 篠原倖太朗 1:05:39

◆インタビュー

◆安原太陽

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――レース当日の調子は
「日本を出発する前はなかなか調子が上がらなくて、決勝で勝負ができればいいなと思っていた。向こうに行ってから調子が上がってきて、これならメダルが狙えると自分の中で確信した。メダルを狙えるぐらいのコンディションだった」

――レースプランや目標は
「予選はスタートリストが出た時に、かなり余裕を持って走れると感じたので、とにかく余裕を持って予選を通過しようという感じだった」

――予選と決勝の間はどのように過ごしていたか
「選手村でかなりリラックスして過ごした。色々と遊ぶ場所もあったので、中日は遊びながら楽しく過ごしていた」

――レース前の調整で決めていることは
「前日に1000mを1本走ること」

――決勝のレースを振り返って
「他の国の選手は1500mを3分30秒台で走るスピードを持った選手が多かった。そういった選手とラスト勝負をする機会はなかなかないので、勝負ができたのは良かったと思う」

――初めての海外レースは
「日本では体験できないような、ラスト勝負を体験できた。他の国の選手ともかなりコミュニケーションをとって、陸上競技に対する考え方などを色々学ぶことができた」

――中国の気候は日本とは違うのか
「今回の成都は気温は2度くらい東京より低いが、湿度は80%くらい。かなり湿度が高く、気づいたら汗が出ていてすぐ脱水になっちゃうような気候だった」

――気候に合わせて準備は変わっていくか
「東京も夏だったので気温の変化はあまりなかったが、湿度が高い分脱水にならないように経口補水液をこまめに取るようにしていた」

――海外の選手とは話したか
「かなり色々な国の選手とコミュニケーションをとってきた」

――英語は練習していったか
「聞き取れるので、あとはノリと勢いで(笑)」

――ピンバッジを交換する文化があったと思うが、交換したか
「色々な人と交換した。日本のバッジをたくさんもらって、全部交換した。日本のは17個ぐらいあって、それを全部交換し終わったらもらった国のものからまた交換した。あとはTシャツなども交換してきた」

――他の日本選手とは仲良くなったか
「中長距離の選手は特に、行動を一緒にしてかなり仲良くなった。他の競技の選手とも選手村で泊まる棟が同じなので、色々話しながら楽しく過ごした」

――篠原選手と同部屋だったと聞いたが、練習以外の時間はどのように過ごしていたか
「中長距離で動くことが多かった。部屋では、彼がヒップホップが好きで、出発直前ぐらいに僕もハマり出して、部屋で音楽を流しながら2人で歌っていた」

――ついに日の丸を背負うレースを走り、弟の海晴選手に追いついたが
「先に日の丸を付けたのは弟だが、先にメダルを取ったのは僕なので、勝ち」

◆篠原倖太朗

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――レース当日の調子は
「あまり良くはなかった。ちゃんとスタートラインに立った時点で勝とうとはしていたので、まずまず」

――レースプランや目標は
「自分でレースは作らないと思っていたので、流れに任せて。目標は優勝」

――自分のレースを振り返って
「耐えた方かなと思う」

――以前から給水を取るポイントなど意識をしていたと思うが、今回は
「今回は湿度が高かった。気温の割に汗をかくので、給水はしっかり取った」

――初めての海外レースとなったが
「雰囲気はいつもの大会と変わらずに集中してできた。言葉もそこまで。英語は話せるので、困らなかった。ご飯は選手村の食事が日本食と違って油っこかったので苦労した」

――アルバカーキ合宿が生かせた部分は
「ない(笑)。高いところにいた効果は切れていて、肺ももう日本に慣れていた。アジアとアメリカは全然違い、(中国は)どちらかというと日本に近かったので、あまり海外という感じがしなかった」

――海外選手とは話したか
「はい!ハーフマラソンは自分が1番持ちタイムが速かったので、みんな話しかけてくれた」

――そういう時は、英語でコミュニケーションを取るのか、ボディランゲージのような感覚でいくのか
「ちゃんと取る」

――大学では第二言語が中国語選択だったと思うが、中国語は話したか
「少しだけ」

――選手村には陸上競技だけでなく他のスポーツの選手たちもいたと思うが、出会ってテンションが上がった選手は
「柔道の中村太樹選手は国士舘大で今は競技をしている。その人は小さい頃から知っていたので『わぁ、あの人いる!』ってなった。あとは、オリンピックの体操で金メダルを取った橋本大輝選手は『オリンピックの人だ!』となった」

――他の日本人選手とは仲良くなれたのか
「長距離は仲良くなれた。(吉田)礼志(中学大)とは元々仲が良かったが、菖蒲(敦司、早大)さんや石原(翔太郎、東海大)さんとも話した」

――ピンやTシャツを交換する文化があったと思うが、どこのが1番良かったか
「ブラジルのビブスみたいなのが1番良かった」

――現地に着いてから安原選手と同部屋だったと思うが何をして過ごしていたのか
「何もしてない・・・寝ていた」

――レース当日は
「自分は朝早くて、安原さんは決勝のレースが夜遅かったので、静かに起きてご飯を食べて出て行った」

――安原選手の決勝のレースに応援に行き、何か感じたか
「自分が『金メダルが絶対』と言われていた中で、ハーフマラソン団体で銅メダルは取ったが、個人では取れなかった。だから銀メダルを取って帰ってきてくれたことは、自分としても本当にありがたかった」

執筆者:宮澤希々

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